いろいろな英語学習を試してみて、挫折してしまう方も多いと思います。
どうやったらうまくいくのかな、どうやったら継続できるのか、気になりますよね。
さて国際的な俳優として活躍されている渡辺謙さんですが、渡辺謙さんが40歳を過ぎるまで、英語が全く話せなかったことをご存知でしょうか?
渡辺謙さんのハリウッドデビューは、「ラストサムライ」。
主役のトム・クルーズに劣らない存在感を放っています。
歴史の大きな変わり目の中で、最後のサムライを気高く堂々と演じていましたが、どのようにコミュニケーション力を身につけたのか気になりませんか?
気持ちを新たにされている方、何かに挑戦しようと決心された方、いろいろな勉強法に触れてみて自分に継続可能なやり方を見つけてみてください。
渡辺謙の基本プロフィール
渡辺謙さんは1959年10月21日、新潟県北魚沼郡広神村(現・魚沼市)で生まれました。
高校時代は吹奏楽部に所属し、トランペットを担当していました。
高校卒業後、音大を目指しましたが、家庭の事情などにより進学を断念せざるを得ませんでした。
その頃、演劇集団 円の作品を観劇し感銘を受けた渡辺謙さんは同劇団付属の研究所に入所し、翌年、劇団員へと昇格しテレビデビュー、映画デビューを果たしたのです。
テレビは「未知なる反乱」、映画は「瀬戸内少年野球団」が初めての作品でした。
その後数々の作品に準主役級で出演していましたが、ついに、1987年のNHK大河ドラマでは主人公伊達政宗に抜擢され、大河ドラマ史上最高の平均視聴率を叩き出したのです。
全国的な人気を獲得し、順調にキャリアを積んでいた渡辺謙さんですが、急性骨髄性白血病を発症し初主演映画である「天と地と」の降板を余儀なくされました。
復帰、再発、闘病と治療を継続しながら1995年再び復帰を果たしました。
その後、イメージの固定化や演技の評価以前に病気のことを持ち出されることに悩むようになったそうです。
自分の方向性を模索した渡辺謙さんは今までとは違う役柄に挑戦し、よい意味で人々の期待を裏切っていきました。
2003年、アメリカ映画初出演の「ラストサムライ」で高い評価を受けた渡辺謙さんは、以後「バッドマン ビギンズ」、「SAYURI」、「硫黄島からの手紙」(クリント・イーストウッド監督)、「ダレン・シャン」、「インセプション」、「GODZILLA」に出演され、日本を代表する俳優として世界から認知されました。
2015年にはブロードウェイ・ミュージカル「王様と私」で、かつてユル・ブリンナーが演じた王様役に渡辺謙さんが選ばれました。
英語とのかかわり
渡辺謙さんは40歳過ぎるまで、英語とは無縁の生活で、まったく話すことが出来ず、世界進出となる「ラストサムライ」のオファーが来たときでさえ、無理とお断りしていたそうです。
その後、一念発起、英語の勉強を始めたわけですが、オーデションまで5ヶ月しかなかったのに英語力はゼロ。
夢の中でうなされる程の英語漬けの猛勉強をして、オーディションに臨み、たくさんの経験を重ね英語でのインタビューまで対応できるようになったのです。
“猛勉強”と文章では一単語ですが、ゼロから話し手の言葉を理解できるようになるまでの努力はいかほどのことだっただろうと、その英語漬けの日々と努力を想います。
渡辺謙の英語力・発音
2003年のハリウッドでのプレミアム会場では通訳さんに単語の確認する場面が見られますが、英語力0から、5ヶ月でここまで対応できるようになるまで、どのような勉強法と出会われたのでしょうか。
それから数年後のインセプションの会場では問題なくインタビューに答えています。
会話の流れも自然ですし、その他の番組でも表情やジェスチャーも豊かに会話されています。
相手の言うことを理解し、自分の考えを述べるられるということは、コミュニケーション力の高さをあらわしていると思います。
渡辺謙さんの英語でのインタビュー動画はこちらです↓↓↓
渡辺謙の英語勉強法とは?
渡辺謙さんが学習に使用されたのは、「ドラマメソット(R)」で、英語教育家の奈良橋陽子さんが考案されたものです。
奈良橋さんは、また、渡辺謙さんをハリウッドに紹介したキャスティングディレクターでもあります。
英語を教室で学ぶ座学の講座とせず、英語というツールを使ってコミュニケーションを実現するこの勉強法は、五感を最大限に使って伝えたいことを自分の言葉で表現していく のです。
劇中でドラマを演じるがごとく、いろいろな状況に置かれた自分をアドリブで表現していきます。
言葉はコミュニケーションのツール でしかありません。
そのツールをいかに活かし、お互いの理解を深めていくことが大切だと思います。
渡辺謙の現在の活動
ラストサムライに出演し、海外でも高い評価を得た後、渡辺謙さんは日本国外の映画にも次々出演し、ミュージカル「王様と私」ではトニー賞・ミュージカル部門主演男優賞にノミネートされました。
海外進出だけではなく、東日本大震災の地、宮城県気仙沼市でカフェを経営したり、若年アルツハイマー症をテーマとした作品では自らの闘病体験も踏まえ、病気への理解を普及させるため奔走されました。
そして、コロナ禍の厳しい状況の下、演じることだけではなく文化芸術をサポートし、役者としてだけではなく社会的な発言も発信されています。
まとめ
英語を話せないという理由で断り続けていた海外からのオファーを、英語習得への決意という形で壁を乗り越え、後進たちへ世界進出という大きな道を切り開いた渡辺謙さん。
海外での映画にも出演し、ミュージカルでも評価を受けた渡辺謙さんですが、ブロードウェイミュージカル<王様と私>に初挑戦した時、映画とは違う舞台特有の英語に精神的に追い詰められ悔し涙を流したそうです。
それでもなおかつ、挑戦し続ける渡辺謙さんに、英語の学習だけではなく、学ぶことに年齢は関係ないこと、人間として謙虚に学び続けることの大切さを教えられます。
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